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元町夏央著『熱病加速装置』を何度か読んだ感想

タイトルになっている短編『熱病加速装置』とジョーゼフ・キャンベル著『神話の力』が頭の中で化学反応を起こして結晶しつつあるので書き散らす。『熱病加速装置』を読んだのは3年ほど前だが、訳の分からないエネルギーだけは感じていて、それに『神話の力』の型をはめることでひとつ読み解くことができた。両著者が果たしてこのような読まれ方を望んだか、これに文章としての整合性があるか、はあまり考えていない。それと自己投影のような書き方になっているかもしれない。すべからくこの世に書かれた文章というのは「いつかどこかにいて私の書いた言葉を一字一句漏らさず、しかも私の意図をすべて汲み上げて理解できる誰か」に宛てたラブレターのようなものだというが仕方ないだろうか。天野大気だっただろうか。須田剛一だっただろうか。よくわからない。つまりこれは便所の落書きだ。

 思春期というのは非常に危うい期間であって、なんとなく世の中はこういうものであるらしい、と掴めてくる時期だと自分を振り返って思う。なるほど10ウン年も生きてみれば節目の年だ。You're the next! Next decade!とGACKTだって高らかに歌う。まるで車輪が一回転して進むように、ぐるりと巡ってまた別のスタートを迎える。5歳の少年と15歳の少年が同じものを見ても、読み取れるものもそれ以前とは少し違うかもしれない。彼自身が良かれ悪かれ変化を遂げているからだ。しかし、およそ10年間のうちに得られる情報や知識や教訓の蓄積量は自身が思っているよりさほど多くなく、それでも一片の道理が通っているが、それだけで世を見る眼鏡を作ってしまうのはやはり危うい。斜に構えてみたり、何かものすごい人物を真似てみたり、人々があまり見ないような方向に興味が向いたりする。熱に浮かされたようにあちこちをフラフラするので、まるで酔っぱらいの千鳥足のようになり、それを見ている親など周囲の年長者を不安にさせる。

 ところが、当の本人さえもが、内側に抱えたそのドロドロとした熱を抱えていて不安を覚える。これを発散したり表現したりして、誰かに伝えて分け合う方法をよく知らないことさえある。自分の形を定め始める頃合いなのだ。15歳の少年は5歳の頃とは違った、細分化された、よりニッチなストレスを抱える。綱渡りに挑むかのような心境を思い浮かべてみてほしい。落ちればすぐダメになってしまう。その場で止まり続けていてもそのうち落ちる。高ぶるような恐怖と、恐ろしいほどの高揚感とを同時に抱え、それらは時にやじろべえのようにぶら下がって支え、あるいは綱から引きずり落とそうさえする。常にギリギリのところを踏みしめ続けるのだ。実はこの綱渡りに安全な逃げ道もある。そちらに落ちると、その地点まで綱渡りをしてきた意味がなくなってしまうけれど。

 元町夏央の作品をさほど読んでいないのが悔やまれるが、氏は中学生男子の抱えた訳の分からないエネルギーをものすごく鮮やかに描く作家であると聞いている。表題にもなった『熱病加速装置』は、そのグラグラ煮え立った危うさをうまくコントロールする過程、道の進み方を身につけるまでを描いたように感じられた。主人公の少年は物語の開始時点で、まさにそうしたるつぼの中にいる。その熱をなんでもないことのように冷静さを装っているが、それはその高熱ゆえにメッキのように剥がれやすい。あらすじを追ってみたい。じきに転校してくるという女の子を救うためとは言え、その手を触ったあとで照れてしまう。鮮烈な出会いを果たしたその女の子と学校で会っても、すでに仲良しグループを作っていてすぐには相手にされず、ちょっとだけ身勝手かもしれないが不満を覚える。その後すぐにフォローされて彼女の名前を知り、ちょっとした秘密の幸福感を覚える。そんな彼も学校ではパッとしない方なのだ。家に帰ると優しい父と気が浮ついてきた母と間に不和があり、パワーバランスは母の方が強い。兄は自室でガールフレンドとあれこれやっている。朝でもなく夜でもない夕暮れを見ながら、ぼうっとした不満足感を、まるで掃除していない部屋のホコリのように溜め込んでいる。それが熱を帯びて炸裂するのも時間の問題だった。

彼にとってはとても重要なことから、熱をどうすることもできず外に飛び出して嘔吐しそうにさえなるが、問題は彼の肉体にあるのではない。走って走って、たどり着いてみればなんと暗くさみしい夜だろうか。冷えた頭で客観視してみれば恥ずかしくなるような惨めさばかりがある。それをよりにもよってあの転校生の女の子に見られてしまった。思わずその熱をゲロると、なんたることか、そのどうしようもなさをわかってくれたではないか!そして同じような熱病を彼女もまた抱えている!自分だけが苦しいのではない!そして彼女の見ている景色を彼もまた見た。初めて会ったときもそうだった、ガードレールの上を歩くあの姿に自分がなるのだ。

『右に落ちたりしないし、安全な左にも逃げたりしない』

『人のさ、ギリギリの瞬間って素敵だよね』

そのときより、彼はもはや孤独ではない。二人が将来どうなるか筆者にはわからないが、少なくともその瞬間においては、二人は同じものを見ることのできるパートナーとなった。言わば運命の出会いである。少年は朝とも夜ともつかない、朝焼けを見ながらバランスをとりつつ綱渡りを進めていく。

そして少年は得た癒しを原動力に母親の浮気相手に思いの丈をぶつけ一矢報いてやる。エディプス・コンプレックスの例のような事件だ。癒しを与える母親、あるいはその象徴となる人物から与えられた力を自分のものとし、自分よりも強大な敵、父親を倒す。だが、彼の内側に渦巻いていた焦熱はどんどん加速していく。『違う違う違う そうじゃなくってっ』止まらない。学校でのこと、少女とのこと、様々なことが頭の中を駆け巡り、体はもはやコントロールする術を失っている。伝えたいのは父親と母親にもう一度仲良くなってほしい、たったそれだけなんだ。素直に言葉に出すだけでよかったのに、熱のせいでそれもままならない。そのまま、吐き出しそうになった夜のように飛び出して少女の家に向かう。その一点においては、彼は言うべきことを言葉に出して表すことができた。少年が何を言ったかはあえて書かない。このとき少女も家で彼女の苦しみの最中にあったが、彼は少女をそこから外に出す瞬間を得た。このとき救われたのは少年だけではない。少女もである。ちょうどその頃、彼の家でも父親が息子の意図になんとはなしに気付き、母と父とが話し合う機会を得る。物語はこうして幕を閉じる。

 大筋を追うになんと生温かさすら感じるほど鮮明に思春期を切り取った作品であろうか。狩ってきた獲物が、あまりに一瞬のうちに捌かれてしまったがゆえにまだ温かい刺し身のようになっている。そして不思議なほどおいしくいただける。全編に懐かしさすら感じるようなエネルギーが満ち満ちて溢れかえり、こちらまで火がつきそうな勢いである。とにかくみんな読めばいいよ。俺がああいうエネルギーに満ち満ちた思春期過ごしていたらどうなっていたかなあ。

 

 

熱病加速装置

熱病加速装置