okaa-tyannmatigaenn3naのブログ

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物語におけるやられ役のやられ方について

キルラキルを見ていて、久々とも言うべきか、やられ役のやられ方が清々しいことには満足を込めたため息が出る。そうそう、そういうのを求めていたんだよ!と叫びたくなる。

物語の進行上やられるべき者が、その役割上できる最大限の仕事は「気持ちよくやられること」だ。吹っ飛ばされたモブは脈絡もなく途中でパワーアップしたり、過去を振り返って反省した結果元々持っていた才能が開花したり、悔しさのあまり怨念を纏ってすぐに復活したりはしないのだ。そういうのは主役同士のバトルにまかせておけばいい。やられ役に必要なのは、引き際を心得て身を退く潔さである。ここで引かないでいることは、わかりやすく例えて言うなら昔付き合ったが破局した異性とよりを戻そうとするくらい無謀だ。少年漫画なら燃えるシチュエーションかもしれないが、見る者に尊敬や同情をさせるつもりのない敵ならそれはやっちゃいけない。

島根県西部~広島県北部で盛んな伝統芸能の石見神楽を例に取ろう。シン(神とも臣とも)とよばれるヒーロー役が登場し、人々に害をなす鬼が登場する。両者は出会い、激しい戦いの後にシンは鬼を退治する。この時、鬼はシンがとどめを刺すシークエンスに入った後、必ず退場しなければならない。立つ鳥跡を濁さず、スパッと、あっさりとである。そうしないと物語が進まないからだ。まれに演目に関わらず、何度も何度も鬼がシンへと食らいついていく例もあるが、長すぎるとダレるので鬼の演者はその回数をわきまえなくてはならない。もちろん、観客側は鬼がいつもすぐにやられてしまうのを見ているので、少し頑張って欲しいとは思うのだが。