okaa-tyannmatigaenn3naのブログ

一介のおたくが好きなことを好きなように書きます

キルラキルについて書き散らす

・本能寺学園の教師にして反制服ゲリラ組織ヌーディストビーチの構成員である三木杉愛九郎について

彼は普段、ボサボサの頭にヨレヨレのシャツにくたびれた声の、なんともさえない教師を装っているが、実は本能寺学園に仇なす組織の一員であるという。その組織の目的と合致するのか、そんな彼はときどき纏流子に協力している。ときどき意味深なことをつぶやいたりもする。

彼は流子に何か説明するとき、脱ぐ。バキバキに鍛えられた美しい肉体が、(たとえば腹筋があからさまにシックスパックなのだ!)突然差し込んでくる不自然な光と、かっこいいEDM風のBGMとともに顕になる。澤野弘之さんマジパねっす。

そんなものを見せられれば面食らうことだろう。「な 何だいきなり ヘンタイか貴様!」「ムム 全裸!」「脱いでどうする!ある程度防熱効果のあったあの服を……」

彼は「本能寺学園の教師」の役割をあの服とともに纏っているのだ。着ることによって自分を教師であると規定し、縛り付けている。このとき彼はヌーディストビーチの一員ではない。本能寺学園や生命繊維など、彼の知るかぎり物語の核心に迫るようなことを喋れないのだ。脱げば、服によって抑圧されていた本音をさらけ出し、ボサボサだった髪をかきあげてさっぱりとし、しゃがれていた声も色気のある美声に変わる。

服は着る物に役割とそれに応じた力を与え、その役割へと縛り付ける拘束具である。

たとえばスーツ姿のリーマンは、スーツを着ているからリーマンパワーを使えるし、その資格がある。作業服を着た技術職のおっさんは、作業服を着ていないと技術職パワーを充分に発揮できない。

「着替える」ということは装いを変える、つまり変身である。

この「着替えること=変身」は劇中でさまざまなシーンに現れている。流子が、あるいは皐月さまが神衣を着込む変身バンク、本能寺学園四天王の座にいてムチを振るう蒲郡苛も寝るときは裸になっていること、生命繊維で編まれた極制服を着た無星生徒が暴徒と化すシーンなど、登場人物たちは「着る」ことによって何かが大きく変わってしまう。

もっともわかりやすい例が、第一話で流子が鮮血を初めて着るシーンだ。彼女は鮮血を着る前のスカジャン姿でも充分強い。1つ星生徒くらいならパパッと片付けてしまえる。それでも歯が立たない相手に出会い、ついに鮮血との出会いを果たす。ここで鮮血は「わたしを着てくれ!」と言い、それまで流子が着ていた服を全部脱がせて自分を着せてやる。この時、流子はキルラキルという物語の主人公たる資格と、それを続けるだけのパワーを得たのだ。

皐月さまについても同様である。当初は流子のことなどまったく相手にしていなかったが、純潔を着る動機は纏流子の存在だった。これで皐月さまは流子と敵対する、ないしライバル関係に至る権利と責任を得た。

「着る」ことによって二人は物語を本格的に動かすキーパーソンに変身したのだ。「着る」ことで服が人に力を与えているが、人のほうがその力を使いこなせなければ「着られて」いる。服が、あるいはその力が「似合っていない」のだ。

 

・服の発揮する力とその原動力

皐月さまの着る極制服・純潔は皐月さまの父いわく花嫁衣裳であるという。一方、皐月さまが言うには純潔は制服であり、制服とは軍服である。純潔はその三つを満たす極めて強い力を持った服だ。

服を着替えることによって強くなるのは古くは石見神楽もそうだし、もう少し新しくするとセーラームーンもそうだ。アニメ版セーラームーンの放送当時、その主な視聴者層は小学生ほどの女の子が多かった(自信がないのでご指導お願いします)。当時の小学生にとって、セーラー服はまだ着ることのできない憧れの服だった。その憧れを纏っている間セーラー戦士が戦って負けることはほとんどない。これは試合中のプロレスラーがどんなに強烈な技を食らっても立ち上がり、特撮ヒーローショーのヒーローがまず負けないのと同じ要領だ。彼らは見る者の憧れと応援を受けている。セーラー服はそれほどの力を持っている。何よりもとは軍服なのだから戦うための力が宿っている。そんな月野うさぎは後に結婚し花嫁衣裳まで着る。こうなると彼女はデタラメに強い。旦那と子供が束になっても敵わないような敵が現れても余裕で勝つ。

皐月さまに戻ろう。彼女は純潔を着たとき

この姿は神衣がもっとも力を振るえる姿。それを俗な価値基準で恥じるなど、まさに己の小ささの証明!

この鬼龍院皐月、我が野望成就のためならば、天下に乳房を晒そうと、恥もなければ怯みもない

と言い切った。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。実に立派である。その姿を見てかっこいいと思った。これが憧れだ、憧れが服を着て変身した人を強くする。憧れが絶えない限り。純潔がまず負けることはない。現に第3話で流子は本能寺学園生徒の応援を一身に受ける皐月さまを前にして一度は圧倒されていた。その後視聴者の憧れを受けたかのように再起する。

 

・本能寺学園の構造とそれを破壊・設計するもの

本能寺学園には鬼龍院皐月によって厳格なピラミッド型の縦社会が作られている。生徒に階級をつくり、階級ごとにその能力を伸ばす極制服を与える。ここでオープニング映像を見てみよう。人と人が手を取り合った姿がデフォルメされ赤い十字になり、それが集まって網状になる。人間一人はまるで糸のようにもろいが、互いが密接に絡み合うことで強靭な布になる。社会のメタファーだ。本能寺学園は皐月さまによってまとめられた布だ。そして本能寺学園の校舎は制服の形をしている。布が服の形にまで整えられている、あるいはそうなろうとしているのだ。本能寺学園はそれほどに整理整頓され整った社会だ。服の内側にいれば、凍え死ぬことはまずないだろう。

ふたたびオープニング映像に戻る。そのような社会から作られた、ともすれば没個性と言える生徒たちの集団から十字に閃光が走り、そこから流子が現れる。強い個性を持った人間だ。

流子は転校生だ。転校生は外から来るものであり、内部事情を知らない。知らないがゆえに内側から破壊できる。破壊し再設計する力がある。それが片太刀鋏だ。流子は極制服を着た生徒たちと戦い、これを戦維喪失させていく。役割と力を失った者は社会にいられなくなるのだ(=社会から人を追い出す=布から糸を抜いていく作業)。ただしハサミは片方だけでは何も切れない。片太刀鋏は、どちらかと言うと縫い針に近い形状をしている。鬼の体に飛び込んだ一寸法師のように。

つまり、纏流子には鬼龍院皐月の作った布のような綿密な社会を一度裁断し、バラバラに断たれたそれを服の形にまで縫製・整形する力がある。

ただし不明な点も多い。糸や型紙を担うのが誰なのかはわからない。それに、社会性を持つ動物が社会を作る理由はほぼ外敵から身を守るためだ。であるならば鬼龍院皐月が身を守ろうとしている「敵」とは誰か?